言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

 前夜から高速バスに乗り、早朝、奈良到着。2年ぶりの奈良。奈良駅前に降り立つとなんであんなにウキウキとした気持ちになるのでしょう。心なしか小綺麗になっている奈良駅前。2年前にもいったマクドに向かう。道中、2年前にはつぶれていたはずのマクドが復活している! しかしここは向かっているマクドより狭いので、驚きを隠しつつ通り過ぎる。コンビニで新聞とホカロンを買ってマクドへ。ここの店は変わっていない。まったりとしつつ、こっそり携帯を充電。
 近くに座ったローティーン女子とよく目が合う。惚れられたか…しかし今日の自分は仏に仕える身、すまぬ…と店を出る(男やね!)。近鉄奈良駅のロッカーに着替えなどの荷物を預け、いざ興福寺へ。


 興福寺。中金堂の再建、回廊の土台部分が1/3くらい作ってあり、土台の上に登ることができるようになっていてちょっと感動する。2年前はまだ発掘作業中だったのに。内側に金堂ができてそれをこの回廊が囲むのか!とひとり興奮。わざと南大門跡地前の階段から登ったりして景色を楽しむ。「興福寺マップ」によるとこの南大門も再建予定とか。おぉ!と感動するも、中金堂でもあっぷあっぷなのだからきっと生きてる間には再建されないだろうなと気づきさみしくなる。
 東金堂へ。師と2年ぶりの再会ということで自然と胸は高まる。そろりと堂内へ。あぁこの空気。いらっしゃった。2年前と変わらぬお姿で師はそこに。脇の皆様に軽く挨拶し、師の前に座る。感極まり涙する。この2年間のことをいろいろと思い返す。いろんなことがあった。あんなこと…こんなこと…。アイドルさんに寄り掛かることをやめ、ひとりでがんばろうとするものの、どこか心は不安定なままふらふらと。程なくこの2年成長のない自分に気づき混乱する。師に「頼ってもいいですか?」と問う。2回、3回…何度も何度も。師は強い眼差しのままで決して首を縦には振らない。悲しくなる…。ぽつんとひとり取り残されたような気持ちになる。しかし、何にも頼らず自分自身を中心に据え、が師の教え。うんうんと思いなおす。
 一息つくと師が「意味は自分で決める」と。意味は自分で決める。意味は他人から与えられるものではない、自分で決めるのです。重い言葉。真理にまた1歩近づいたのか。
 名残惜しさを持ちつつ、「また来ます」と堂を出る。(でもこれが永遠の別れになるとなぜだかふと思う)


 時間を取りすぎてしまったため宝物殿は省略して東大寺へ。
 南大門。仁王像。うぅむ!見るたびに唸ってしまう迫力。前回の訪問のときに見つけた「目線」でまた楽しむ。その後、戒壇院、二月堂と足を運び、夜はうめだ花月友近ねえさんの単独を。


 戒壇院、冬場に靴を脱いで素足で拝観するのはつらい。四天王がおかしい。4体ともあさっての方向を向いている。少なくとも「ここ」に置かれるために作られたものではないのだろう。「創建当時」この言葉に強い魅力を感じる自分がいる。


 二月堂の椅子に腰掛け見渡す景色が大好き。西南の向こうに興福寺五重塔の頭が見える。きっとのこの景色は何百年もこのままなのだ。いままでも、これからも。


 友近ねえさん。コントあり漫才あり。しかしうめだ花月の施設の素晴らしさに脱帽する。ルミネとは比べることすら失礼にあたりそう。


 公演後、心斎橋のカプセルホテルに戻りつつたこ焼きでも食べようかとウロウロするが、どこも閉店。仕方なしにコンビニでマルちゃんカップうどんを買って階段に座って食べる。Wマークのカップうどん。う、うまい…。なんでこれを関東でも売らないのかなぁ。