■
7月の名古屋ハローからはじまり先週の中野が終わり、ヲタ復帰ツアー(?)もひと段落着いたので今の気持ちをまとめて。
名古屋。
目の前に何度も吉澤さんが来た。今までのように意識して視界に入れないようにすることはせず、目の前に来れば普通に吉澤さんを見ていた。吉澤さん、あの頃と何も変わっていないように見えた。
刹那、「よっすぃーーーー!!」て叫びたい衝動に何度も駆られた。でも我慢した。叫んでしまったら心の中の何かが壊れてしまいそうな気がした。1回でも叫んでしまったら全てが終わってしまう、そんな気がしたから。だから我慢して叫ばなかった。(今思い返せば「叫べなかった」のかもしれない)
コンサート中、程なく、重大な心境の変化に気がつく。吉澤さんに対する想いは確実に少なくなっている。1年前とは比べ物にならないくらい減っていた。
やっと暗黒面から抜け出せつつあるのかもしれない。やっとね。
オトナジャンのみやたん。野鳥の会をしていたら背中丸見えの衣装(隣席のヲタは「裸エプロン」と呼んでいた。言い得て妙)で、背中にくっきり水着の日焼け跡。あれはやばい…。やばすぎた…。あぁ…。うぅぅ…。
自分の中でのみやたんの存在が大きくなったことに反比例して、吉澤さんへの想いが小さくなったということはない(と思う)。別物というところまではいかないのかもしれないけれど、微妙にリンクはしていない感じがする。安直な言い方をすると、外見と中身の違いというか。あまりいい表現ではないけど、実際そんな雰囲気なのです。
代々木。
卒業の発表があるというので当初0回の予定が3回も中に。しかし発表はなく、席も総じてあまり良くなく、あぁ〜あ。
発表があるという日曜の昼公演前、めちゃめちゃ行きたくなかった。入りたくなかった。なぜかとても怖かった。卒業だと告げられても、どうすればいいのか分からないから。
イヤでイヤでイヤでイヤで、会場前の公園でアルコールを入れる。ぼーっと呑み続けた。このままここに座っていようかとも思ったけど、そういう場に立ち会えるのであれば立ち会わなければという思いもあり、中に入る。
イヤだ…怖い…。なぜイヤだったのか?なぜ怖かったのか?
この気持ち、いつか経験したなと思い返せば、2000年の5月21日の夜公演前、あのときと同じ感覚だと公園のベンチで思い出した。
なぜこういう感覚になったのかと考えれば、やはり吉澤さんの悲しむ姿を見たくはないのです。見たくない。卒業は悲しいことではないよ、と言われればそれはそうなのですが、悲しくないはずは決してなく、そういう吉澤さんを見(想像す)るのはとても辛いのです。
過去のしがらみからのあれやこれやとしためんどいことがイヤというのも表層にあるけどね。
未だに吉澤さんへの想いは断ち切れていない。しかしそれは先にも書いたように以前ほど大きくはないのも事実。
では何なのか?吉澤さんを好きでいた時間、あの濃密だった時間にノスタルジーを感じているように思う。
あの“時”を否定されたくないのだ。あそこから派生した自分が今の自分。吉澤さんが全てだった自分があの時には存在した。今は(距離が)離れてしまったけれど、でもあの時は生きていて、今の自分に綿々とつながっている。
あの時怖かったたことは今も怖いのだ。それは変わらない。もう自分は応援もなんもしてないんだから卒業しようがしまいが関係ない、とはどうしても思えない。その奥底の部分には痛みのようなものがまだしっかり残っているのです。
中野。
みやたんかわいい。
それだけかもしれない。実際のところは、それだけかもしれない。
ミスムンあり。チャラ〜ン♪イントロが聞こえたとき頭を抱えた。どうしようかと思った。吉澤さんのパートはあいぼんが歌っていた。みやたんはバックダンサーの1人。
ノリ方が分からない。身体に染み付いたものがうずく。あの頃の記憶が蘇る。その感覚と目の前に展開されているもののギャップ。あー、うー、あー、うー。…。
このツアーをつまらなくさせている原因のひとつにこの曲の存在があるのかもしれない。
ミスムンには思い出が多すぎるのです。