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ピリオドを打ちました。
10.11三重の夜公演で。
もともとコンサート中に一区切りつけようだなんて気持ちは、その回に限らず、全くありませんでした。
でもコンサート終盤、自分の大好きな吉澤さん…とっても楽しそうな吉澤さんの表情を見たら、「今日ここでピリオドを打たなければいけない」と脳が反応しました。
それに対し自分は「そうかもしれない」と同意しました。
15メートルほどの距離に吉澤さんがいるその時、ピリオドを打つ決意したのです。
辛かったです。
自然と涙が溢れてきて止まりませんでした。
コンサートはいつも通りに終りました。
でも自分の中では、吉澤さんへの想いにきちんとピリオドが打たれていました。それはとてもきれいなピリオドです。丸くて黒くて輪郭のハッキリしているピリオドです。
「つらくてもこれでいいのだ」
大槻ケンヂの詞の1節が頭に浮かびました。
「だがしかし…だがしかし!」
は浮かびませんでした。
好きになってはいけない人を好きになってしまった者の行き先。
「散る」しかないと考えていました。
それが唯一、堕ちた者の取るべき行動だと。
それが唯一、この苦しみから解放される手段だと。
想いに区切りをつけることが可能とは露も思っていませんでした。
というより区切りをつけるという行為自体、思いつきもしていませんでした。
きっと自分だからできた行為と思います。
「好きになってはいけない人を好きになってしまった」
という前提を
「しかたがないこと」
と前向きに捉えているか、
「それだけはいけないこと」
と後ろ向きに捉えているか、の違い。
自分は完全に後者。
だからこそピリオドが打てたんだと思うのです。
一夜明けた12日の朝。1時間くらい1人になる時間が持てました。見知らぬ公園のベンチに仰向けになり、真上に生い茂っている樹々、そこから垣間見える空をじっと眺めていました。
「昨日、お別れした」という事実…その心境。
落ち込んでいるということはなく、かといってすっきりした気分というわけでもないけれど、いくらか心は落ちついているように感じられました。
そこには、お別れを受け入れようとしている自分がいました。
昨日のコンサート中に脳からの指令が来た瞬間の吉澤さんの表情、なぜだか鮮明に目に焼き付いています。
ファンに戻る…戻れるのか、は分かりません。
でも心はそういう方向を向いている感じはします。
コンサート行っても応援スタイルは同じなのでしょう。
でも行く回数は少なくなるでしょう。
遠征はほとんどしないでしょう。
そんな気はします。
なら今までの応援スタイルは何のため?
今まで遠征していたのは何のため?
当然の疑問です。
最近、遠征までして参戦していた目的はコンサではなく手紙を渡すためで、応援スタイルは自分の気持ちに嘘をついてファンを装っていました。
だから、参戦数は減り、応援スタイルは同じ、な気がするのです。
お別れをした、というのと、嫌いになった、というのは100%違います。
吉澤さんが大好きです。
吉澤さんのことずっとずっと心の底から応援しています。
吉澤さんのこといつだってどこにいたって何があったって応援しています。
本意は捨てても、この気持ちだけは変わりません。