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もうちょっと落ちついてみた。
疑問の「ハッピーエンド」。
考えてみれば、自分は吉澤さんのことを何も知らない。知っているのは表に見えるほんの1部分でしかない。パーセントでいえば5%くらいだろうか。
吉澤さんも自分のことは何も知らない。
顔と名前が一致しているとして、手紙を全部読んでいてくれたとして、パーセントでいえば5%くらいか。
好きになってはいけない人を好きになってしまった、
というのは重々承知。
ではなぜ5でしかない人をここまで好きになってしまったのか。残り95がどうしても受け入れられないということだってじゅうぶんあり得るのに。
この問いに関しては「可愛かったから」と答えるしかない。
そう考えれば、しょせんはまだ一目惚れの域を出ていないのかもしれない。
もしそうだとするとちょっと楽になる。「これから」が見えるからだ。
だがしかし!
「これから」は間違いなく「ハッピーエンド」方向であり、間もなく自分に起こりうる「散る」とはベクトルがまったく違う。
「これから」と「散る」は正反対。
「これから」は存在しない。妄想の世界を出ない。
ということは自動的に「これから」の先にある「ハッピーエンド」も存在しないことになる。
そうなのか?
ほんとに「ハッピーエンド」は何処にも存在しないのか?
リアルとして起こる「散る」には「ハッピーエンド」はないのだろうか?
「散る」にもいろいろな「散る」があるのではないのだろうか。
「散る」ことイコール「バッドエンド」とは思いたくない。
暗黒面に堕ちた人間の取るべき唯一の行動だと思うから。
どうせ散るなら、かっこよく散りたいと願うのです…。
#やばい。自問自答の扉が開いたままになっている。
とても危険だ。
「散る」とは怖いことなのか?
笑いが止まらないほど心の中は澄みきっているのに!