言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

 数日経ってしまいましたが、9月7日福井では誕コンがあったわけでした。いちおう今の心境を残しておかなければ、と思うのです。



 ぼん。さんのお陰さまで夜公演はとても良い席を確保して頂きました。この場を借りて素で感謝。




 好きだから故の気まずさ、恐さ。



 そんなようなものが夜公演はじまるまでありました。入りたくないな、そんなことまで思いました。




 今までの活動→ハワイ→そして、福井夜。



 自分は吉澤さんに「この人は自分のファン」と認めてもらえていることが分かりました。



 落ちついて考えると、この事実、今年春頃の叶うかどうか分からない、とてつもなく大きな目標・夢だったことです。



 回りの誰にどう思われようと、吉澤さんに認められるよう頑張る。


 そんなことを冬〜初夏にかけては心に思っていました。




 それが現実のものとなった。



 うれしい・・・はず。



 心の底からうれしい・・・はず。




 でも、そのときの自分の気持ちは違った。



 お礼を言われたという事実。



 ドウモアリガトウという言葉の意味。




 1ファンでいろ!ということなのだろうか?



 恋心をいだいて、暗黒面に堕ちてはいけないのだろうか?



 複雑な想いが交差している自分がいました。




 そりゃ、うれしいんです、実際。



 今までの活動が報われ、吉澤さん本人に認められたのですから。



 これ以上の喜びはない・・・はず。




 「認められた」には当然湧きあがる疑問として、

 「何として?」がくるわけです。



 その答えは言うまでもなく「ファンとして」なのです。




 ハワイ→Mステで膨らんでしまった、タブーとしていた考えてはいけない想い。

それからわずか1週間。

それはダメ!とぎゅっとフタを閉めようとしたのは他ならぬ吉澤さん。



 タイミング、良すぎます…。



 その時には「粗熱」という言葉を使いました。

それを冷まさせようとしたのは他ならぬ吉澤さん。




 …そうなのかもしれない。



自分を救おうとしてくれたのかもしれない。




 そして今現在の自分の想いは宙ぶらりん。



 どうしていいのか分からない。

もう全く分からない。

暗黒面へ走りたい気持ち、それを抑えようとするドウモアリガトウの言葉。




 頑張るとはなんなのか。



 何に向かって頑張るのか。



 ファンでいろ!というのなら、この先は何を目標として頑張ればいいのか。



 …分からない。





 いままでとおなじということ?