言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

 文化祭とやらに行く。会場入って10分で帰りたくなる。連れの方がいなければすぐに帰っていただろう。連れに連れられ2時間並んでグッズ買ってひと回りして会場を出る。
 あの子に会いたくなかった。ここ数日あの子のことを考えずに過ごした。それは頭の中のあの子の濃度が減ってきていたからこそできたことで、今日またあの子に会って濃度が高くなってしまったらこうはいかないことは分かりきっている。
 あの子から距離を開けようとしている今、1番怖いのはいつぞや吉澤さんのときに経験した揺り戻しだ。本心に蓋をしている状態であの子に会う。吉澤さんの鹿児島のときととてもよく似ている。今あの子に揺り戻したら間違いなく終わってしまう…そんな気がしたので今日はステージには近づかず、あの子を見ることなく、会場をあとにした。これでよかったのか、今は分からない。あの子をひと目でも見たかった後悔の気持ちがないわけではない。会っていたらまた頭の中が桃でいっぱいになって幸せな気持ちになれていたかもしれない。でも今日の自分は揺り戻しを恐れて会わないことを選択した。それはどういうことか。あの子に頼らない生活を送っていくという意思表示。そんなことができるのか。分からない。会わなかったことによって振れ幅を大きくした結果、より大きな揺り戻しがくるかもしれない。現に頭の中はすっきりとしていない。当然のように、会いたかったという想いがある。まだ綱渡りは続いている。右に落ちても左に落ちても幸せな世界は存在しない。杖を、新しい杖を見つけるまでこの想いは続くのだろう。
 今日は行ってよかったんだろうと思う。行って会えるのに会わなかった、この事実はこれからの自分にとって大きい出来事のように思う。ま、全てがいい方に転んでいけば、だけれど。


 そうまでして生きていかなければいけないんだろうか。大きな楽しみを失ってもなお生きていかなければいけないんだろうか。