言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

 1年3ヶ月前のことで、猛烈な後悔の念に襲われる。
あの時は絶対にこうするべきだったと、明らかに失敗に気がつく。


 なんであの時あんなことを…。
ダメな自分。ほんとうにダメな自分…。


 ちょうどその時「小学校教師が教室で自殺」というニュースを見、大きな大きな後悔の念が生まれ時間は絶対に戻れないということを悟ってしまったならば「死」というのは選択肢のひとつに十分になり得るな、などと思った。


 どうすれば後悔をせずにいられるのだろう?


 後悔をしなくなるには、その事柄に対する判断基準、智慧を高めなければならない。AかBかの選択をするときに間違いをしなくするためだ。そこでの判断を誤るから後に後悔することになる。


 ではどうすれば智慧は高まるのか?
果たしてどこまで智慧を高めれば後悔をしなくなるのだろう?


 後悔の無い人生。それは可能なのだろうか?
そこまで智慧を高めることができるのだろうか?


 不可能なのでは?




 個に考える。
今回の場合、1年3ヶ月前に自分は判断を誤った。でももし今、その判断を下さねばならなくなれば、(今思う)その時とは違った判断をするだろう。


 でも昨日までの自分なら1年3ヶ月前と同じ判断をしていた。
昨日に判断をしていても1年3ヶ月前と同じ判断をした。


 今日、その判断が誤りであると気がついた。猛烈な後悔として気がついた。


 1年3ヶ月前の自分と今の自分。
昨日の自分と今日の自分。


 気がつく前の自分と気がついた自分。
ここには大きな差がある。



 「後悔とは気づくこと」、なのではないか。


 その時には気がつかなかったことに気がつく。あれは間違いだったと気がつく、分かる。


 今の自分はそれに気がついた。それが過ちだったと気がついた。それ決して後退ではない。明らかな前進だ。
その時の自分より成長しているのだ。だから1年3ヶ月前の誤りに気がついたのだ。


 後悔とは気づくこと。


 気づいたからこそ、後悔するのだ。あの時の自分は間違っていたと。


 気がつけば2度とは繰り返さない。気がつかなければきっと同じ過ちを繰り返す。(過ちとは気づいていないが…)







 すべては自分の内側にある。
かえりみる。かえりみる。かえりみる。
前へ進むヒントはきっとそこにある。