言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

■悟りへの道
 自分はいったい何がしたいのだろう?


 それによって何をしたいのだ。
 その後に何があるというのだ。


 で、何がしたいんだ。
 けっきょく何がしたいんだ。


 何が目的なんだ。
 どうなりたいんだ。


 想像の世界ですら簡単に行き詰るのに
 その先にいったい何を求めるのだ。


 すべては無明、すべては無常と分かっているのに
 それでも今さらそこの何を求めるのだ。



 何がしたいんだよ!


 何がしたいんだよ!


 何がしたいんだよ!



 何もないくせにいい気になるな、バカ!












 無明だと分かったフリをしてことを起こさない。
「無明だから」と知ったかぶりをしておこなわない。


 それは逃げ。


 ことから逃げるための理由付けに無明を使っているに過ぎない。


 それはとても恥ずべき行為だし、とても愚かな行為。




 そうか?


 たとえ逃げだとしても、それによってその後訪れるであろう
苦からは免れることになる。


 境地に達していないまだまだ修行中の身からすれば、いたし方の無い気もする。



 いうなれば、フォーマットを仏陀の教えにしていないから
逃げ口上として今回は使ってみただけであり、
考え方の中心に据えない限り真意として使ったとは言えない。


 結果は同じでも、スタートが違う。


 でもそれは境地から離れていく行為ではなく、近づいていく行為だ。


 なら


 そこまで愚かな行為ではないのかもしれない。



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 少しずつではあるけど、理解は深まっている気がする。


 自問自答の先に何があるのか?


 む、自問自答とは?