言葉はいつも想いに足りない

~きおくのきろく~

 本日を以って、卒業を決めました。完全な。


 そりゃコンサート中の出来事も理由の1つにはなってはいるけど、主旨ではありません。


 自分の中の「限界を超えた」というのが1番の理由。


 正直、超えました。


 もう無理。イヤです。


 「もういいや…」っていうのが本心です。



 昨年秋の三重で決意したときとは違います。
(あの時は鹿児島で覆った)


 ずーっと自分に言い聞かせている
「1番大切なものは自分の気持ち」
という信念。


 ここに他者の入り込む余地を残しておいてはいけないのです。


 鹿児島の時にはあったその余地が、今の自分にはありません。


 だから、決めたことイコールそれは確定なのです。






 推しを変えて現場に復帰なんてことはありません。


 吉澤さんを嫌いになったわけでなく、別の方に興味が移ったというわけでもなく、吉澤さんが終着点だって、ずっと思ってたし。


 もともと芸能人を好きになったりするタイプではないし。


 ヲタが嫌いなんです。
なんの生産性も向上性もないぬるま湯。
あなたは生きてる価値ないから早く死んだほうがいいよ
って方がたくさんいる世界。
気持ち悪い…。反吐が出る。


 人を応援する、という行為そのものにも嫌気。
自分が応援したからといってどうだというのよ?教えて!


 自分の人生を他人に委ねるような行為は、高くないと思います。
自分の甘えを他人のせいにしてはいけないと思います。
誰かに「がんばれ」という代わりに、自分が「がんばれ」。


 少なくともアイドルなんかに人生掛けても、なんの価値も無い。
人生の貴重な時間を無駄にすることになるだけ。



 実際、この6年間にどれだけ成長できたというのか。
それまでに貯めてきたものを少しずつすり減らしてきただけではないか。





 吉澤さんを応援してきたことに後悔はありません。


 でも、なんの成長もなかったこの6年間に対してはものすごく大きな後悔があります。


 6年…取り戻すには何年かかるのだろうか。



 吉澤さんに「今までどうもありがとう」などという感謝の言葉はありません。


 自分が卒業と決めたのです。
自分がサヨナラと決めたのです。
もう、いいんです。


 ただそれだけのことなのです。







 「悲しみのベクトルは死に向かうが、怒りのベクトルは生に向かう」
という、しいさんの有名な言葉がありますが、


 「悲しみのベクトルは執着に向かい、怒りのベクトルは別れに向かう」
もあながち名言かもしれません。